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デイジー

ちょっとだけ、あたたかくなりました。春はもう少しです。

江戸三十三観音 道往寺

朝、なんと大雨警報がでていたのに、

江戸三十三観音に出発。

27番、道往寺に行ってきました。

都営浅草線 泉岳寺駅 徒歩2分とのこと。

それでも、かなり迷いました。

インターホンを押すまで。

ここかな?

でも、個人のお家かな?

「道往寺」の石の表札を見つけるまで

門の前で、うろうろ。

雨は、あがっていました。

門を入ると、整えられたお墓が見えなければ

美術館と見間違えるところです。

掃除が行き届いた、明るい観音様をみると

ほっとしました。

観音様に見惚れていると、ふっと自分の姿も

ガラスに映ります。

紺色のパーカーを着たわたし。

その奥にある、感情。

御朱印を書いてくださった上品な

お婆様が言われました。

「先日みえたお参りの方は、娘さんを亡くし

家にいられないと、ここで泣かれたんです。

それで始めたんだそうです」

千手観音様に映った、紺色のパーカーを着たわたしが

三十三観音を巡り始めた理由。

津波で流されて行った人たちの無念、

放射能に怯えたであろう同級生や、友人、

本家の大叔父のこと。

あれほど苦労をして家業の借金を返し、

借金を返しながらも努力し

教育者として名を馳せました。

退職してからは、畑できぬさやをつくりながら

一族の家系図をつくり、

おだやかな老後を過ごしていました。

八十を過ぎてから起こった、あの大地震

ストリートビューで見た門は、表札ごと崩れていました。

あと1キロ、避難区域がずれていたら

大叔父は、あの家から離れなければなりませんでした。

そして1年後、亡くなりました。

第二次世界大戦も経験し、

敗戦後の困窮も成長も支え、

やっと訪れたおだやかな老後です。

こんなに苦労をしてきた大叔父は

最晩年に、未曾有の大地震

広島長崎の再来といわれる放射能の恐怖のなかで

死をむかえたのです。

地震のあと、マスコミは故郷の名を連呼しました。

内気だけれど、ちょっと頑固な同級生は

県外ナンバーの

マスコミの車にも怯えたのではないかしら。

故郷を「原風景」と言い出す輩も出てきました。

地震の前は、散々馬鹿にしてきたくせに 。

どうしようもない怒りは、自分自身に向きました。

誰が悪いのでもなく、世の中が不条理なのでもなく

何もできない自分に怒りがわいたのです。

 

5年半が経ち、世の中は震災の記憶を

心のクローゼットに、そっとしまい始めています。

わたしだって

玄関から出るときは、

希望に満ちあふれたような顔をしますが、

整理整頓が苦手なので、机の上も心の中も

なかなか片付きません。

江戸三十三観音の観音様、

あの地震で傷ついた、たくさんの魂を

どうか助けてください。

 

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道往寺にて。