デイジー

猫のデイジーと暮らしています。

渋谷のサソリ

クリスチャンではないので、クリスマスにして良いこと悪いことが、特にあるわけではないけれど、それにしても、街が楽しげにしているときに、震災の映画を観に行くのは、なんだかな、と思いながら映画館に向かった。

映画は、キリスト教の影響を少なからず受けた作家をモチーフにしていたので、クリスマスに関係していたようだ。

震災がどうであったか、ということではなくて、震災にどう向き合ったか、ということだろうか。津波で家や家族が流された人も、震度5弱の揺れで恐怖した人も、テレビで映像を見ただけの人も、この三年間「震災」に、それぞれの形で向き合ってきた。

三陸沖は、これまでもたびたび大地震に見舞われてきた。吉村昭が記録している「三陸海岸津波」でも、東日本大震災と同じような混乱が書かれている。ひとつだけ違うのは、放射能である。

原発の話は、エッセイのレベルでは書けないので、また別の機会にしよう。

映画を観終わって渋谷の街を歩いてみた。大学生の娘曰く、ヒカリエができてビジネス風の人が増えたそうだけど、中高年の人も多く見かけた。自分もその一人だけど。

スクランブル交差点で信号待ちをしているとき、名刺のようなものを渡されながら、声をかけられた。「渋谷のカフェの案内なんです。暇なときにぽちっとやって遊んでください」小綺麗なコートを来た青年の笑顔に曇りは無かったけれど、ぽちっと押した先に何があるかは、わからない。

あの青年は、サソリだろうか。

見たことも無いキャラクターのパーカーが売っているかと思えば、ミュベールの新作が店頭にあってびっくりした。別の店ではベージュ地に花柄をモチーフにしたワンピースがあった。店員さんがトルコ製だと教えてくれた。大振りのネックレスがセットだった。地の色がベージュなので、羽織物は赤でも黄色でも似合うだろう。店員さんは、とても褒めてくれた。

あの店員さんは、サソリだろうか。

あのワンピースを作ったトルコの人も、手のぬくもりがする大振りのネックレスを作った人も、サソリだろうか。

宮沢賢治は、東北の鉄道会社の株主になれるほどの富豪に生まれる。キリスト教に関心を持っていたようだったけれど、地域の人々が神棚を祀り、神社を信仰する中で、そこに御神鏡がおかれている意味も必然的に知っていただろう。

二十代前半の頃の、職場のおばさんのこと。小さな子どもが二人いたのに、ご主人が交通事故に遭い、言葉もろくに話せず寝たきりの状態になって何十年も介護しているという、おばさんが御神鏡 について教えてくれた。

「神社には、鏡があるだろう。鏡には自分が映るから、神様は自分の中にいるってこと。そんでもって自分のことをよく見なさい、てことなんだよ」

強い者に、さっとへつらうので、すこぶる評判の悪いおばさんだったけど。

 サソリは良い虫だそうだ。自分の行いを反省し、最期には自分の身をいたちにくれてやらなかったことを反省し、みんなのさいわいのために私の体をお使いください、と話す。そんなふうに思えば闇夜を照らす炎になれる。自分の行いを反省し、この身をお使いくださいという考え方は、侵略する者にとって非常に都合がいい。まさかと思うけれど、震災で亡くなった人々をサソリに例えていないだろう。

サソリなのか、いたちなのか、食べられた小さな虫なのか。

神が判断することであって、人間は渋谷に来て、ショートムービーに浸っていればいい。