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デイジー

気持ちがいいと、イビキをかきます。

町医者の終わりかた

「先生、亡くなったんだって」

二年ぶりに風邪を引いて病院に行った夫の、帰ってきた第一声である。

親子三人、お世話になった先生だった。話を聞いた大学生の娘も、驚いた様子だった。

「長男が跡を継いでて、ベテランの看護婦さんたちは、みんな、いなくなってた」

注射が痛くない看護婦さんだった。先生と同じぐらいの年齢だった。

「あの人たち、何だか結婚しないんだよ」

診察のとき、先生がそう言っていた。みんな独身だったようだ。

世界中でも有名なテーマパークが浦安市内にある。そのテーマパークと共に、先生は開業したそうである。

浦安市は元々漁師町で、テーマパークがある湾岸地域は埋立地にあり、この十数年、大きなマンションが建ち始めた。それに合わせるように内科、外科、小児科の病院、歯科医院や動物病院ができた。テーマパークも、ますます注目された。

その発展の中で、先生は一年三六五日、毎日診察をしていた。新しく出来た病院が一週間ほど「学会出席のため休診」という案内を出すこともあるのに、先生は、毎日、毎日、診察室にいた。

とにかく待たなかった。病院に入ってお薬をもらって出るまで、二◯分もかからなかったことがある。ベテラン看護婦さんたちの手際も素晴らしかった。先生の診察も早かった。薬の量も多かった。賛否両論あったけれど、病気のときに待たないのは有難たかった。何が魅力かと言えば、変わったお医者さんだった。先生は、どこか面白かったから。栄養剤を「一本打って行くかい?」と、ドリンク剤のように言う。

しばらくしたら、栄養剤を打つときに用紙を一枚出してサインをするようになった。

「いや、言われちまって」

どこから何を言われたのか、わからない。頭を掻き掻き、確認のサインをする用紙を出した。

建物も古かった。薬品の匂いが染み付いた院内、破れた古いソファ、待合室の分厚い古いテレビ、そのテレビが付いているのを見たことは無い。タクシーを呼ぶピンク電話もうっすらと黒い。何も知らない人が見れば危ない場所に見えたと思う。確かに危ない場所だったかもしれない。時々、玄関に盛り塩が置いてあったから。

そんな先生の顔は、いつもどす黒かった。

本当に、ごくたまに、先生はいなかった。知人のお医者様が診察室に座っていることがあった。

「車で、走りに行っちゃったんです」

ベテランの看護婦さんが言う。そりゃ、そうだ。

稚内から礼文島まで、走ってきたんだ」

夫が風邪のとき、先生と話したそうだ。稚内までフェリーで行って、北海道を走ってきたそうだ。自宅のリビングでもなく、居酒屋でもなく、仲間同士のバーベキューでもなく、病院の診察室で患者とそんな話をする。車が唯一の趣味で、高級外車を数台所有していると、夫が診察室で聞いてきた。毎日、診察室にいたら、どんなにお金があっても使う時間も無いだろう。

「やってくれ、やってくれって、患者さんに言われるんですよ」

毎日、診察するようになった理由をベテランの看護婦さんが教えてくれた。自分の顔がどす黒くなっても、患者さんのために毎日診察していた。

それが数年前から、水曜日だけ休診になった。

「先生、倒れたんです。それで、休めって事になって。先生も年ですから」

週に一度、休みが出来たせいか、先生の顔色は良くなった。

娘がインフルエンザのとき、病院に行ったら玄関の外まで靴が出ていて、すごい患者さんだと思ったら、看護婦さんが苦笑していた。

「付き添いが多いんです。子ども一人に、お父さん、お母さん、多いときはおばあちゃんとおじいちゃんが付いてくるときもあるんで」

他人ごとではない。我が家も娘一人に夫とわたしが付いて来ていた。テーマパークで体調を崩した人がやって来ることもあった。奥様もお医者様で、小児科と皮膚科の専門だった。奥様のほうは皮膚科を別に開業し、一時間待ちも珍しくない人気の先生だった。

湾岸地域のほうに引っ越したのと、わたしは肺炎をやってから、近くの呼吸器専門の先生に診て頂くようになったけれど、夫は「あの医者、面白い」と言って、時々、玄関に盛り塩が置かれる病院に行っていた。

その先生が、亡くなった。

今までのお礼に、お墓参りに行こうか、ということになり、病院に先生が埋葬されている場所を伺った。電話に出た受付の女性は、何か言いにくそうで、「お気持ちだけで、結構ですから」と言うばかりだった。

ふと、思った。

「先生、生きてたりして」

夫は、吹き出した。あの先生のことだから「死んだ」と言わないと、医者を辞められなかったんじゃないだろうか。そうだ。きっと、そうだ。

先生は生きているような気がしてきた。好きな車で、北海道を走り回っているんじゃないだろうか。

きっと、そうだ。今まで働いてきたから、これからは好きな車に乗って、悠々自適に生活しているんだよ。

そうあってほしいと、強く思った。