デイジー

気持ちがいいと、イビキをかきます。

先生が聴いていた声

猫のデイジーが好きなものの一つに、子どもの声がある。仔猫の頃は、幼稚園の登園時間になると、窓辺に来て子どもの声を聴いていた。

我が家はマンションの二階にあり、南側のリビングに一般道、北側の部屋にはミニ公園がある。散歩をする犬の鳴き声、小さな子どもを連れたお母さんたちの声、子どもたちの笑い声、携帯電話で仕事の話をする男性、急ぐ自転車の音、のどかな音ばかりではなく自動車がガードレールに激突した音が聴こえたこともあった。

日常の雑事に追われるわたしは、雑事を紛らわすために好きな曲を聴いたり、テレビを付けたりしていたけれど、デイジーはそれらにまったく興味を持たない。デイジーが耳をピンと立てて興味を示すのは、鳥の声、風の音、子どもの声、自動車がクラクションを鳴らすときは尻尾を丸めて逃げてしまう。

北側の部屋の窓辺で、外の様子を伺うデイジーの後ろ姿がカーテンから透けて見える。

猫の背中は、様々なことを語りかける。日常の雑事、過去の過ち、将来の不安、自分に問いかけることを、猫の背中は問いかける。

問いかけることを問いかける猫は、子どもが遊ぶ声を聴いている。デイジーの背中を見ているうちに、音楽やテレビを消して、デイジーと一緒に子どもの声を聴くようになった。

子どもは未来を担う、自分の過去を投影する。思い出を癒し、希望を生み、時間をつなぐ。子どもたちの生命力をデイジーが聴いている。

先生も、生命力を聴いていたのかな。

高校時代の古典教師であった恩師は、通学路の途中に新居を構えていた。目と鼻の先に学校があり、徒歩で学校に来ていた。入学したとき生徒の間でも、こんな近く、それも居間の目の前を生徒が通っていくような所に家を建てるものだろうか、と話題になった。

女の先生だった。男の子が二人いて、こんなにきれいで優しくて、毅然とした女性が世の中にいるのだろうか、と憧れてしまった。

絵本を創る活動をしていて、「本を作ってみましょう」というささやかなイベントを催された。全国大会を目指すような部活にいたのに、わたしはその部活を休んで絵本のイベントに参加した。思えば、それが初めて作った本かもしれない。

先生は病気になり、ほどなく学校を辞められた。入院している病院がわかると、部活の仲間でお見舞いに行った。先生は思わず言ってしまった。

「白血病なの」

先生に申し訳なかったのは、これまでの環境で嫌われていじめられてきたので、嫌なことをする人に対しての接し方は知っていても、寛大な優しさに触れたことがなかったから、先生の優しさに戸惑ってしまったこと。大好きだったのに、うまく伝えられたかどうか、今でもわからない。

二人のお子さんを残して、先生は旅立たれた。

あとで、聞いたこと。あまりに体調が悪いので病院に行くよう家族にすすめられると、即入院だったそうだ。あんなに笑顔だったのに、先生は病気だった。

薄々気づいていたけれど、わたしが知らないふりをしたこと、古典の授業をしていた先生は、バセドウ病で少し目が出ていた。本当は、ずっと前から体調が悪かった。

「子どもたちの声を聴いていたいから」

通学路の側に家を建てた理由を聞かれて、先生は、そう答えたそうだ。

子どもは未来を担う、自分の過去を投影する。思い出を癒し、希望を生み、時間をつなぐ。子どもたちの生命力を先生は聴いていたのかもしれない。