デイジー

猫のデイジーと暮らしています。

ドアロックぐらいの運命

会社を設立することになって、いろいろな本を読むうち、経済書を読むことが多くなった。経済書は二つの特徴がある。

一つは、プラス思考であること。前向きで明るく元気な内容なこと。

二つめは、悪い事例を出さないこと。軽い例として出すことはあっても、深刻な事例は決して載っていない。

文学だと、ありとあらゆる犯罪、道徳的背徳が出てくる。競い合うかのような人の闇や悪徳と、それらを決して見ない経済書の数々。

今思えば、文学にどっぷり浸かっていた頃、つまり世の中なんか悪いことばかりじゃないか、人は嘘ばかりついて嘘をつくなときれい事をいう、とか、うんざりしていた頃、誰も寄り付かなかったし、毛嫌いされていた。だからなおさら、人や世の中を恨んだ。闇の悪循環だった。そんなとき、わたしの前を通り過ぎていく人々がいた。目の前で起こった闇に、自分は気づかないように、知らなかったように、関わらないように通り過ぎていった。

闇の悪循環の中にいる状況も、決して闇に関わらないように通りすぎて行く状況も、四◯代半ばの今、とりあえず経験したと思う。闇の悪循環の中心から、少なくとも、客観的に他者を闇の悪循環にいる状況だと見える状況に変わったということ。闇の悪循環から、抜けだしたとも言えるかもしれない。

どうして出来たのか。簡単なことだった。それまで小説やエッセイ、古典など文学的なものしか読んでいなかったのが、会社経営をはじめて様々な経済書を読んで、文学的作品との違いを感じたからだった。わたし個人の闇の循環は、冒頭の二つの特徴に気づいたことで、何かが、何かから、ふっと離れていった。離れたことで良くなったのか、悪くなったのかは、自分ではわからない。とりあえず、自分が闇の悪循環にいたと、過去形のように感じた。

経済書を読むまで、闇の悪循環の中心にいたのではなく、少し外側にいて、何かのきっかけがあれば、さっと離れられる場所にいたのかもしれない。会社経営という意識の中で、文学的思考が一時止まっていたのかもしれない。様々な要因があったとしても闇の悪循環から離れるのは、ほんの些細な出来事で起こる。それは確信する。

どのぐらい些細なことかというと、ドアロックを開けるか閉めるかぐらいのことだ。ロックを閉めれば外に出られないし、ロックを開ければ外に出られる。逆に、悪いものを止めて良いものを出さないことも出来る。簡単な操作なのに、結果は一八◯度変わる。

会社を設立したとき、賃貸マンションに住んでいた。近隣に分譲マンションが立ち並ぶ中、正直、肩身が狭かった。それでも新しく出来た分譲マンションの悪口を言う人に相槌を打たなかった。他の話題に振って悪口は避けた。悪口を言うとますます惨めになる気がしたからだった。少しそれるが、悪口を言う人にならわないと次に悪口のターゲットになる可能性が高まる。そういうリスクも背負い、実際、リスクに巻き込まれたけれど、悪口は避けた。分譲マンションに住んでいる人が、散々、賃貸マンションを馬鹿にしていて、ローンを払えなくなり引っ越した人もいたから。

会社を設立してから、会社が上手くいくように、良い方向に行くように、と願った。あまり悪いことは口に出さないように、考えないようにしていた。意識したわけではないけれど、結果的に悪口や嫉妬、讒訴から遠ざかっていったと思う。

仕事関係で関わった人で、利益が上がると、チッと、毎回舌打ちする人がいた。こういう人は逆に不運があると喜ぶ。チッと舌打ちする人の会社がどうなるかというと、当然のことながら利益が下がっていく。不愉快な思いは誰だってしたくないから、人が遠ざかるから。

ドアロックの法則でいえば、チッと舌打ちをするのをやめればいい。子どもだって出来ることだ。舌打ちをしているとき、舌打ちしていることに、なぜか気づかない。経済書を読む人のように、人の不運は気づかなかったように振る舞えばいい。

ドアロックは、片手の指先だけで出来る。子どもでも出来る簡単な操作なのだから。