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デイジー

気持ちがいいと、イビキをかきます。

ラムレーズンパフェの夜

どうして、その夜、原宿の千疋屋に行ったのか覚えてないけれど、とにかく何かが飽和していて思考が停止していた。疲労といえば簡単だけれど、単純な疲労と言えない何かが蓄積していた。

今は大学生となった娘が、幼稚園のときのこと。

メ二ューを開くと、生クリームの中に浮かぶレーズンが目に飛び込んできて、ラムレーズンパフェを注文した。口が甘くなったのでコーヒーも注文した。甘さと苦味が心と体に染みて蓄積されたものが溶けていくような感覚がした。主人はフルーツが入ったあんみつで、娘は、何だっただろう。覚えていないけれど、嬉しそうにしている。一人、にこにこしている娘だけが、違う世界にいるようだった。

幼稚園に入ると、一身に可愛がられて育ったお人好しの一人っ子はターゲットになった。幼稚園の先生方は「問題を起こすのは一人っ子ばかり」と言い、殴りかかってくる子どもの親は「ちょっとしたことなのに一人っ子だと親がうるさい」と悪口を言いふらす。

子育てそのものにも悩んでいた。いつまでも親が手伝っていてはいけない。どこまで手伝い、どこまで自分でやらせたらいいのか。苦しいとき、夜中に一人で泣くしかなかった。

娘がいじめられて泣いたとき、わたしは叱った。「人前で泣いてはいけない。そんなみっともないことをしてはいけない」

誰でも欠点や短所があり、良かれと思ってしていることが周囲の迷惑になることもある。自分が批判されるのはそれ相応の理由がある。わざわざ人前で泣き、同情を引くようなことは、自分の非を責任転嫁し、かつ被害者のふりをして他者を攻撃するという恥ずかしい行為だ、と思うから卑怯なことはしない、と思っていた。

だから、苦しいとき、誰もいない夜に泣いた。誰も見ていないと思っていた。

娘は見ていた。

中学生になったときに、ぶちまけられた。

「お母さんが泣いてるのが嫌だった!」

心にまで染みたラムレーズンパフェを食べた夜、人前で泣いてはいけないと叱られ我慢し、夜中の母親の泣き声を聞き、娘も辛い思いをしていたときだったのだろう。

娘の笑顔を思いだすと、老舗のデザートが小さな娘が抱えていたものも癒してくれたのだと思う。